任天堂 の代表取締役社長を務めた岩田聡氏が死去 ─ 胆管腫瘍のため

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任天堂の代表取締役である岩田聡氏が7月11日、胆管腫瘍のため京都市内の病院で亡くなっていたことが分かりました。55歳でした。岩田氏の逝去により、任天堂の代表取締役は竹田玄洋氏(代表取締役専務取締役)、宮本茂氏(代表取締役専務取締役)のふたりとなります。

岩田聡氏は、2014年6月に胆管腫瘍が見つかったことを公表。早期発見だったこともあり手術は無事に成功し、同年より仕事に復帰しました。世界最大のゲーム見本市E3は昨年に引き続き欠席したものの、6月26日の定時株主総会では議長を担当。しかし、数日前から体調を崩して再び入院。入院中も病室からメールで社員に指示を出していたそうです。

開発者へインタビューを行う「社長が訊く」や、ユーザーへ直接情報を発信する「Nintendo Direct」など、社長自ら率先してPR活動を展開。ユーザーの目に触れることも多く、その温和な人柄から「いわっち」の愛称で呼ばれるなど広く親しまれました。ご冥福をお祈り致します。

岩田聡氏は、ハル研究所時代には『ピンボール』『ゴルフ』『バルーンファイト』といった数々のファミコン用ソフトのプログラミングを担当。同社の社長就任後には『星のカービィ』シリーズや『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズなどのヒット作品を生み出しました。任天堂の故・山内溥社長に経営手腕を買われ2000年に任天堂へ入社、2002年には代表取締役に就任。「ゲームを豪華に、そして高度で複雑なものとするだけでは、ヘビーユーザーやコアゲーマーから飽きられ、ゲーム初心者にもとっつきにくいものとなり、市場が死んでゆくのではないか」という懸念を抱いていた岩田氏は、会社として「ゲーム人口の拡大」をテーマとして掲げ、2004年に2画面を備えた携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売、シリーズ全体では全世界で1億5000万台以上を売り上げました。さらに2006年には新機軸の据置型ゲーム機「Wii」を発売し、全世界で1億台を超える販売を記録するなど隆盛を極めます。しかし、両ハードの後継機として発売された「ニンテンドー3DS」と「Wii U」では、スマホゲームの躍進を背景に大きく苦戦。業績低迷に歯止めをかけるため、今年3月にはDeNAと資本提携を発表し、スマホゲームへ参入する方針と新ハード「NX」の存在を明らかにしていました。

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