堀井雄二氏「FFXは究極の完成形」ドラクエ生みの親が語るFF観

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『ドラゴンクエスト』シリーズの生みの親である堀井雄二氏が、海外メディアGame Informerのインタビューに応じました。その中で、かつて別会社の人気RPGとして並び称されてきた『ファイナルファンタジー』シリーズとの決定的な違いについて言及。「主人公が喋るか喋らないか」という設計思想の違いを、自身の哲学を交えながら語っています。

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ドラクエとFFの関係性と今回のインタビュー

『ドラゴンクエスト』が1986年に、『ファイナルファンタジー』が翌1987年に発売されて以来、両シリーズは日本のRPGを代表する存在となりました。2003年のスクウェアとエニックスの合併後は、同じスクウェア・エニックス社の姉妹シリーズとして展開されています。

今回の発言は、海外メディアGame Informerが『ドラゴンクエストVII リイマジンド』の取材のためにスクウェア・エニックスの渋谷オフィスを訪れ、堀井氏に90分のロングインタビューを行った際に出てきたものです。本文中の引用は、Game Informer掲載インタビューの英語発言をもとにした日本語訳です。

堀井氏は、FFが発売された当時を振り返り「間違いなく注目していました。意識すべき存在でしたから」と語ります。一方で、ファンが考えるような「ライバル」という意識は必ずしも持っていなかったと明かしました。

「主人公は喋るか喋らないか」設計思想の違い

堀井氏が当時から感じていた両シリーズの決定的な違いは、主人公の在り方でした。「ファイナルファンタジーの主人公は、たくさん喋りますよね。それに対してドラゴンクエストが目指すのは、プレイヤー自身が主人公になるという体験なんです」と語っています。

プレイヤーが主人公になるドラクエ体験

堀井氏の言葉を借りれば、ドラクエの主人公は「勝手に喋り出したりはしない」存在です。この設計には、プレイヤーが主人公の行動や選択を自分自身のものとして捉えやすくする狙いがあります。

主人公の台詞が少ない、あるいは無いため、プレイヤーはキャラクターの感情や考えを想像で補うことになります。これは、用意されたドラマを鑑賞するのとは異なる、一人称視点での冒険体験をより強く感じさせるための工夫と言えるでしょう。

ドラマを観るFF体験と「よく喋る主人公」

一方、FFについては「主人公を観察するような感覚になる」と堀井氏は指摘します。これは、プレイヤーが主人公に「なる」のではなく、主人公というキャラクターの物語をプレイヤーとして見届けるスタイルです。

主人公が自らの言葉で感情を表現し、仲間たちと会話を交わすことで、キャラクターの内面や人間関係が言葉を通じて直接描かれます。これは、シネマティックな演出を重視するFFシリーズならではの魅力です。

「FFXは究極の完成形」堀井雄二のFF観

堀井氏は「FFは好きですよ」と明言した上で、特に印象に残っている作品として『ファイナルファンタジーX』を挙げました。

「初めてFFXを見たとき、これはファイナルファンタジーの究極の完成形だと感じたのを覚えています」。ボイス演出と壮大なCGムービーが融合した物語体験は、喋る主人公が織りなすドラマというFF的路線を象徴する作品だったと言えます。

ドラクエがプレイヤーの想像力に委ねることで冒険体験を創出するのに対し、FFXは技術と演出で作り込まれたドラマを見せることでプレイヤーを魅了しました。堀井氏の評価からは、この対照的なアプローチへの関心がうかがえます。

まとめ:二つのRPG、二つの主人公体験

「自分が主人公になる」ドラクエと、「主人公の物語を観る」ファイナルファンタジー。堀井雄二氏の言葉からは、両シリーズがそれぞれ違うタイプの体験を目指してきたことが伝わってきます。

かつて別々の会社から登場し、今は同じスクウェア・エニックスの看板を背負う二大RPG。その片方の生みの親が、もう片方を「好き」と言い、FFXを「究極の完成形」と呼ぶ。このエピソードからは、互いの良さを認め合いながら日本のRPGが進化してきた歩みが垣間見えます。

出典

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