『イナズマイレブン』で描きたかったのはサッカーそのものではなかった――日野晃博氏が語った“思いのぶつかり合い”

Inazuma-Eleven-waza_260422

レベルファイブ代表取締役社長/CEOの日野晃博氏が、インタビューの中で『イナズマイレブン』の構想原点について語った。同作の代名詞として知られる「超次元サッカー」の背景にあったのは、単なるスポーツの再現ではなく、少年漫画的な熱量をぶつけ合うための「舞台」をどう作るかという発想だった。

スポンサーリンク

競技の枠を超えた「思いのぶつけ合い」を載せる舞台

『イナズマイレブン』の出発点として日野氏が語ったのは、スポーツそのもののシミュレーションではなく、「少年漫画の世界」をゲームで表現しようとする考え方だった。

日野氏は同作のコンセプトについて、次のように述べている。

「僕はスポーツというよりも、少年たちがそれぞれの思いをぶつけ合う―それがサッカーなのかバスケなのか、ある意味、どんな方法でもよかったのかもしれません」

さらに、「イナズマイレブンを作る時も、サッカーのリアルさを追求するのではなく『ドラゴンボールでいいんだ』と」続けており、競技の忠実な再現よりも、少年漫画特有のダイナミックな表現強度を優先していたことを明かしている。

ここから見えてくるのは、サッカーという競技のルールをなぞることよりも、仲間同士の絆やライバルとの衝突といった「感情のドラマ」をどう成立させるかが先にあった、という構図だ。サッカーは、そのぶつかり合いを載せるための舞台として選ばれていた。

「ドラゴンボールでいい」という確信。子供の感性に響く表現の追求

本作を象徴する派手な演出や、物理法則を度外視した「超次元」な技の数々も、こうした発想の延長線上にある。

大人の目で見れば、ああした描写は非現実的に映る。だが日野氏は、そこを抑えて現実に寄せる方向には進まなかった。今回の発言や元記事の文脈からは、子供たちの感性にまっすぐ届く表現を優先していたことが見えてくる。

日野氏は子供の感性を、「サンタさんがなぜいるのか、どこから来るのかを考えず、ただその事実だけを信じる力」と表現している。サッカー選手が宙を舞い、必殺技を繰り出す光景を「物理的に可能か」と疑うのではなく、その熱量に圧倒される体験そのものを大切にしていた、ということだ。

普通なら、大人が見ても安っぽくならないよう、目立ちすぎる部分は少し抑えるはずだ。けれど『イナズマイレブン』は、そういう方向には振っていない。その世代の子供たちに強く届くことを優先して、あえて派手さを引っ込めなかった。そこにあったのは、サッカーをそれらしく見せることより、少年漫画の熱をそのままゲームに持ち込もうとする発想だった。

少年時代に受け取った熱量。漫画的世界の発想に通底するもの

日野氏が語った「少年漫画の世界」という発想の背後には、自身が少年時代に触れてきた作品の記憶もある。元記事では、『キャプテン』の主人公・谷口タカオの姿を見て、「こういうふうに生きなきゃ」と思った記憶が今も残っていると語っていた。

その原体験と、今回語られた『イナズマイレブン』の発想は、どこか重なって見える。勝敗やルールの再現そのものではなく、登場人物たちの思いや熱がぶつかる舞台を作ろうとしたことも、そうした少年時代の記憶と無関係ではなさそうだ。

現在のレベルファイブでは、「子供の頃に『イナズマイレブン』が大好きだった」という社員が新作の制作に関わっていることにも触れられている。作品から熱を受け取った側が、今度は作り手としてその世界を支える側に回っている。このエピソードもまた、このシリーズが作り手の側にも何かを残してきたことを感じさせる。

「超次元サッカー」という言葉だけを見ると、派手な必殺技や突飛な演出がまず浮かぶ。けれど、今回の日野氏の発言を追っていくと、出発点にあったのは、少年たちの感情をどうぶつけ合わせるかという発想だった。『イナズマイレブン』は、サッカーをリアルに再現するための作品というより、その舞台の上で少年漫画の熱をどう立ち上げるかを考えた作品だった。

出典

タイトルとURLをコピーしました