元ソニー社長の平井一夫氏が、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)社長時代、ソニー本社の経営陣からあれこれ言われても、PlayStation事業では自分のやり方を貫いていたと振り返った。
海外ゲームメディアGameObserverが10月11日に報じたもので、発言は平井氏とトリドールホールディングスの粟田貴也氏による日経クロストレンドの対談に基づいている。
GameObserverによる英訳では、平井氏はSCE社長としてPlayStation事業を担当していた頃、当時ソニーの経営トップだったハワード・ストリンガー氏らからあれこれ言われても、「本社が何と言おうと関係ない。我々はPlayStationだ」という姿勢で、自分のやり方を貫いていたと笑いながら語っている。
平井氏は当時、PlayStation事業の内部でも、各地域の判断を尊重する考えを示していた。2007年7月のKikizoのインタビューでは、東京のSCE本部が決めるべき事項と、各地域の本部に任せるべき事項を区別する必要があると説明。地域の市場を最もよく理解しているのは現地の担当者であり、基本的な戦略や方向性は自身が把握しつつ、各地域には従来以上の裁量を与えたいと語っていた。
平井氏がSCE社長に就任したのは2006年12月のこと。2007年6月にはグループCEOも兼務し、2011年9月に社長職を退いた。その後、2012年4月にはソニー本体の社長兼CEOに就任し、PlayStation事業だけでなく、ソニー全体の経営を担うことになった。
その頃のソニーは赤字に陥っており、世界中に約16万人の従業員を抱えていた。経営陣や株主は再建の行方を案じており、平井氏自身も周囲から厳しい目で見られていたという。周囲には、新社長がいずれ自分たちのはしごを外すのではないか、成功は自分の手柄にして失敗は部下の責任にする人物ではないか、といった不安もあったという。平井氏は、尊敬されなければ誰も一緒に頑張ろうとは思わないと考え、まず「自分を知ってもらうこと」と「同じ方向を向いてもらうこと」に取り組んだ。
そのために重視したのが、世界各地の工場や事業所へ自ら足を運ぶことだった。テレビの生産現場にも一度きりではなく、二度、三度と訪問。ソニー社長在任中の6年間で20か国以上、約50都市を回ったという。初めて訪れた際には、多忙な社長が再び現れるとは思われていなかった。それでも実際に足を運び続けるうちに、社員たちの反応は「あのオッサン、本当にまた来たよ!」というものに変わっていったと、平井氏は笑いながら振り返っている。
社員との信頼関係を築く一方で、各事業部門を同じ方向に向かわせるために掲げたのが「KANDO(感動)」だった。当初、社員たちは新しい経営スローガンも一、二週間で聞かなくなるだろうと考えていた。しかし、平井氏は何か月も繰り返し「KANDO」を訴え続けた。
やがて社員たちもその本気度を理解し、社内のプレゼンテーションでも、自分たちの製品がどのように人々を感動させられるかを示すようになったという。
写真:Maurizio Pesce / Wikimedia Commons / CC BY 2.0






















